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日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみる その3      ~伝統的中間共同体の再評価と可能性~

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日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみるの第3回である。
今回は伝統的中間共同体の再評価と、可能性についての考察である。

・日本の村の寄合的民主主義と伝統的共同体の再評価

反論として伝統的中間共同体でなくても、NPOなどの共同体ではだめなのか?
と言うものがあるが、本書では中野曰く、NPOでは教育や子育てはできない。
NPOで子育て、食事の支度、家族的なコミュニティができるわけがないというものである。

全くその通りで、大家族主義や伝統的共同体を悪とする新自由主義や左翼のものの考え方は
自立した個人を作る障害となっおり、自由な人間の流動性や合理性を阻害するものとして
叩いているが、家族も一つのコミュニティーであるし、その家族からなる親戚というもの、
(日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみる その2で
述べている血縁関係も伝統的共同体の一つである)
血縁とういうものも伝統的な共同体の一つなのである。

NPO子づくりや子育てなどできるはずがない。
そもそも人工的に作られた中間共同体はお互いの利害関係を達成するための手段であり
(企業、会社、政治団体など)、地域に根差した活動ではないし、
家族を養ったり助け合い生活する場ではない。

それをぶっ壊して人工的なNPOや金を稼ぐための企業だけが残ればどうなるか?
結論を言えば、晩婚化は進むし、少子化ももっと進むだろう。
左翼の言う、自立した個人には家族という概念が無いのだから。

また新自由主義者の言う、企業のグローバル化を推進し、人、モノ、カネの流動性を高めるという事は
企業や会社と言う共同体を国家観や社会性という観点の繋がりをより一層希薄化させる。
より一層、バブル期まであった日本的経営と言う思想から遠ざかり
利害や合理化を進める共同体として、伝統的共同体の持つ協調性や公共性、秩序を破壊していくことになり
社会制度の混乱と不安定を招く。


また日本の民主主義は村の寄合がベースであると本書では述べている。
その点について日本はもっと評価すべきだと指摘している。

柴山氏曰く、
農協にしても商工会にしても、町内会にしても、その地域の仲間から信頼され
特や風格のある持ち主がリーダーになる。

これを自然的貴族(ナチュラル・アリストクラシー)と呼ぶのだが
こうやって地域のリーダーや代表が選ばれるというのは、
共同体が健全に機能している状態であり、民主主義の望ましい姿なのである。
と柴山氏は言っている。

リーダーや代表を選ぶ際、民主主義の理想は共同体の人間から信頼され、
推薦されて、持ち上げられてなるのが望ましい姿であるのだから、
昨今の選挙制度は理想からかけ離れた、惨めで愚かな制度と言うほかない。

自分から立候補し、その選挙区の住民から信頼もされてない信用や社会的地位も無い
どこの馬の骨かわからない人間が
人気や、プロパガンダ、政党の組織や看板だけで政治家や地方議員になるのだから
ロクな政治ができるはずもないのである。

自分から立候補する様な連中には、胡散臭さや不信が付きまとうし、そうならざるをえないだろう。
如実に昨今の政治力の低下は、伝統的な中間共同体の没落や機能の弱体化から来ていると言える。
人工的な共同体をいくら作ったところで、政治的不信や政治家への信用の低下は止められないし
政治家を育てることもできないので有能な人材は生まれない。

・伝統的な中間共同体の強さと厚さが
      その国の将来可能性のあるポテンシャルを秘めている


次に、

伝統的な中間共同体の強さや大きさが国家のポテンシャルの大きさに比例するという事である

日本は西ヨーロッパと並び伝統的な中間共同体がぶあつく、強い地域である。
それゆえに、文明開化をし、急速な近代化と発展を遂げられたのであるし、
戦後の復興と高度経済成長も一因として、伝統的な共同体が残っていたというのがある。

だが、左翼にしろ、新自由主義者にしろ、日本に残る伝統的な中間共同体の価値を評価もしない。
有権者も知識人も伝統的共同体をただひたすら壊してきたのだから、
日本が経済的にも政治的にも停滞し、行き詰るのは当然であろう。

日本の独自的な文化や価値観は、人工的な中間共同体からは生まれないし
グローバル化しようが自立した個を作ることを推し進めても、日本は世界では勝てない。

伝統的中間共同体の強化と拡大が、世界に通用する人間を作る場所になり
日本独自の世界に誇れる文化や価値観を作るのである。



・日本的感覚が理解できない自称保守や愛国者は
              左翼や新自由主義者同様に悪害である


最後に、

グローバリズムに毒された自称保守派は自己愛的に日本は素晴らしい国だ、
だから世界に打って出て、世界一になる、日本は勝つと御託を並べるが、
結局は勝つか負けるか、いくら儲けるか、儲からないか、というカネの話になる。


カネで物事すべてを解決しようというのは下品であり、そうあってはならない
というのが日本の保守の感覚である。
カネの話は人の前でするものではないというのは日本人の伝統的な良き習慣だったはずである。


少なくともこの理屈で行けば、昨今の知識人、例を挙げれば、三橋貴明や渡邊哲也の様な連中は
保守でもないし日本人的感覚からかけ離れた所にいる、ろくでもない連中であると言えよう。
本売れてます、ありがとうございます、とかテレビの前で、いけしゃあしゃあと言ってのける三橋、

儲けの話を本にして儲けることのどこが悪いと居直る渡邊。
少なくとも日本人的価値観があるとは思えない人間が日本の為、だのと称し
商売をしているのだから呆れる。
儲けた人間の利益から再分配し貧しい人間に分け与える
セーフティネットを作る様な社会が健全な社会らしい・・・。
渡邊曰く、儲けられない貧しい人間が不満を言うのはただの僻みらしいのである。

こういう連中には保守の思想は理解できないだろうし、(本人たちも保守ではないと言っている)
日本人的ではないのだから、こんな連中が愛国者的で所謂ネットウヨクと呼ばれる人たちや
自称保守派的な人間から認められているのだから世も末である。

そもそも、セーフティーネットなどと言うものを、必要としない社会を作る事が健全な社会ではないだろうか?
セーフティーネットに関しては、儲けた人間が貧しい人間に対して施しをあたえ儲けた側が
社会的に評価される社会という構図は、搾取する側が搾取されてる側に施しを与えるという構図であるから
奴隷制度に近い思想であり日本人的感覚ではない。
また、国民の間に金銭的な格差階級を容認する事が果たして日本的なのかも疑問である

西部邁氏も言っているが、セーフティーネットというのはサーカスの曲芸師が空中ブランコや綱渡りの時に
落下した時の為に張る安全装置であり、セーフティーネットがあっても
落下したら大怪我をすることがあるという事だ。

セーフティーネットを声高に叫ぶ連中はそんな危険極まりない事をすべての人間させて
競争しろ、儲けれない人間が悪い、などというのだろうか?
そんな素人が出来ない危険な行為をさせる社会が素晴らしい社会なのであろうか?

結論を言えば、セーフティーネットを張って競争する経済や社会構造がまともである訳もなく
それに挑んだほとんどの人間は、失敗し、大けがをするか下手をすれば死んでしまうという事で
ただ単に不幸な人間を大量に作り出すだけのバカげた行為だ。

こんな思想や考えが日本的美徳や習慣なのだろうか?
ただ単に思想的に、または知識の乏しい知的弱者や、現在の日本に対して鬱屈した不満を抱えた者へ
耳触りのよい心にもない事を言って、そそのかしカネを巻き上げているようにしか見えない。

少なくとも今挙げた知識人の例をとってみても、伝統的中間共同体の重要性というものを
理解していない者が、日本人的思想を語るのだから、たまったものではないと言える。

まるで出来の悪いポンチ絵を延々見せられるようなふざけた話である。
こういう輩は、新自由主義や左翼を批判してはいるが、どう見ても日本的ではない、つまり
本心を隠している偽善者だ。つまりはニセモノの愛国者を装っている連中だ。



これで〆るが、中野曰く、

保守とは知識とか価値観の優れたものは
          本質的にローカルなものだと考えるのである


と言っている

人前でカネの話をしたり、
格差階級を容認し、その弊害に対しての対処策として
セーフティーネットなどという欧米的な弱者救済の真似を公然と言ってのけ悦に入ってるような
日本的価値観を理解できない、知識人や自称保守派や愛国者が
真の愛国者で日本の伝統や共同体を保守する保守派である訳が無い

日本人ですらないのだから当然である。


以上 終わり

【関連記事】

・日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみる その1
 ~国家と天皇 伝統的共同体を破壊する者たち~


・日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみる その2
 ~社会主義の流派 2つの共同体 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト~



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日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみる その2      ~社会主義の流派 2つの共同体 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト~

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・社会主義の流派と西欧近代が生み出した三大イデオロギー


まず西欧近代が生み出した三大イデオロギーについて述べる。

そのイデオロギーとは、

・自由主義
・社会主義
・保守主義


の三つである。

この三大主義が対立したり強調したりしながら、各国の政党政治は動いてきたのである
この三つははっきり分かれることは無く、ボロメオの輪のようにつながった部分があり切り離すことはできない


そして社会主義の流派についてだが
一般的に、日本の場合は社会主義というとマルクス。レーニン主義的な社会主義を
連想する場合が多いが、あれは一種極端な例である。

社会主義の流派を挙げていくと、

・国民社会主義
・国家社会主義(ナチスなどの極端な例)
・民族社会主義
・マイケル・サンデルで有名なコミュニタリアニズムで有名な共同体主義
・民主社会主義
・社会民主主義
・社会自由主義(所謂、リベラルソーシャリズム)


など、社会主義の流派は非常に多い

そして、保守主義も社会主義的要素がある思想である。
保守の考え方は反自由主義であり、リベラルではない。

公正と節度を重んずる思想であり、自由放任をきつく戒める思想である
競争ではなく活力を、平等ではなく公正さを、博愛ではなく節度と道徳を重んずる
しいて言えば、自由は保守的には多様性を重んずる考え方であり、節度ある自由を追求する


よって、原始的な自由主義との共通性は遠く、社会主義的な公共性や共同体の思想に近い部分が共通
してあるのである。
どちらかと言うと、国民国家を主体とした社会主義や共同体主義との関連性があると言っておく。

社会主義の急進的かつ過激な部分は保守の教義における漸進主義によって
急進的な要素は抑え込む形で取り込むのが保守主義の強みであり多様性である。


・伝統的中間共同体ゲマインシャフトと人工的共同体ゲゼルシャフト



中間共同体の定義において、中間共同体は主に二つに分けられる。

テンニースが定めた、

昔から存在し、地縁や血縁で結ばれた共同体や自然発生的な伝統共同体を

ゲマインシャフトと呼ぶ

例を挙げるなら、血縁つまり親戚つながりであったり、住んでる地域の組織、町内会や
長い時間によって形成された商店街など、また農業においての農村共同体もそれにあたる


もう一つが、

利益や機能を重視した人為的に作られた組織を

ゲゼルシャフトと呼ぶ


こちらの代表例としては、企業やNPOが代表的な例である。
しいて言えば、イデオロギーによって人工的に作られた組織はすべてゲゼルシャフトとも言えなくもあるまい
なぜならば、市民団体や政治組織も自然発生的に形作られたゲマインシャフトとは異なるからだ。

ここで新自由主義者と左翼の共通認識として
人工的なゲゼルシャフトは認めるが
伝統的で古くからあるゲマインシャフトは認めず壊そうとする。

理由は自然に出来上がったものは非合理的であり、もっと効率を良くし
合理的な組織が自分たちで作れると思っているからだ。
だが人間の作る社会体と言うのは、

有機的なものであり機械的なものではない。人間の作る社会体と言うのは、
長い時間によって形成された有機体的性質であり、一度壊すと元には戻らないものなのである



・ローカルな伝統的共同体の強靭化こそが合理的であり
 スモールガバメントを実現させる


新自由主義者は小さな政府、合理化をするために、伝統的共同体を壊さなければいけない、既得権益であり
自由化や合理化を阻害する悪という認識であるが、それは間違いであり、
スモールガバメントや合理化を推進するならば伝統的共同体の強化、つまり強靭化なのである


本書で施氏は、日本は十分小さな政府であり、新自由主義者の理想を体現しているという。

例を出すと、労働人口における公務員の割合はOECD諸国で一番低い。
また財政規模で見ても、GDPの中で政府支出占める割合はかなり低いのである。

ではなぜ諸外国と比べて、これだけ効率の良い小さな政府でやっていけるのか?
それは伝統的な中間共同体が日本は強く、発達しているからである、と施氏は言う。

多くの日本人は一定の地域に定住し、暮らしてきた。
先祖代々これからの子孫も同じところに暮らすだろうという認識があったわけである。
長期的に定住する事により、その地域で暮らす人間同士の、信用性や秩序が自然発生的に作られてくる。

流動的な落ち着かない環境ではこの信用や秩序は生成されることは無く
野放図でカオスの状態になる事は当り前であろう。
信用も無く安心も無い為、人間同士の交流もたたれ、閉じた個の社会構造になり活力が失われ
経済文化国力の衰退につながると考えるのである。

伝統的共同体の破壊は国民の協調性や協力性を失わせ、個人の利益や主張が大きくなるため
それを抑えこんだり、治安の維持にかかる費用が増大する。
今現在の中国が典型であろう。結局は政府の負担が大きくなり
小さな政府からは程遠い社会が形成され非合理化するのである。

日本の秩序正しい国民性は伝統的共同体によって育てられ作らてきたものだ。
伝統的な中間共同体を壊して、新自由主義者はさらに小さな政府を目指そうとしているようだが、
本末転倒である。
伝統的共同体を壊してしまえば協力性や秩序を保っていこうとする国民性は失われていく。

小さな政府にしたければ、ローカルな中間共同体に任せなければ
小さな政府論は成り立たないのである。


それを破壊しスモールガバメントを達成できると考えている新自由主義者の思考は
完全に間違っているというほかないのである

※その3に続く



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【関連記事】

・日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみる その1
 ~国家と天皇 伝統的共同体を破壊する者たち~

日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみる その1      ~国家と天皇 伝統的共同体を破壊する者たち~

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まともな日本再生会議:グローバリズムの虚妄を撃つを読んだので
読書で得た情報や知識などのまとめと、アウトプットを兼ねて
こちらに個人的な考察も含めて書いておきたいと思います。

書評の方で大雑把な事は書いてあるので
この本を読んで、特に気になった点である共同体について書いておきます



・左翼や新自由主義者がモデルにする国家像は日本には合わない
                  ~人口国家と自然国家の違い~




まともな日本再生会議:グローバリズムの虚妄を撃つ(以降本書とする)の第四章で
日本の共同体の再評価が行われ、鼎談者の中野、施、柴山による考察とが述べられている

まず、日本はアメリカやロシア、中国の社会制度の真似をしても無駄であり、全く役に立たない
なぜなら、今挙げた三か国は代表的な近代主義的な実験国家であるからだ。
つまり、ヨーロッパの様な深い歴史に基づいて文化が根付いている国家ではなく
人工的に作られた文化を漂白した近代国家であるからだ

アメリカ、ロシア中国と歴史上の指導者の銅像が立ち、英雄視され神格化されている
アメリカならばリンカーン、ロシアならばレーニン、
中国ならば天安門広場の毛沢東の肖像画を思い出すだろう。
だが、日本では元首を銅像なりなんなりを立てて、英雄視する神格化する文化は無い。

なぜならば、日本は自然発生的に作られた自然国家
(つまりは伝承や神話から国家が成り立ち、しっかりとしたルーツは辿ることはできない。
故にその伝承や神話などが国家の枠ぐみ
つまり国家の成り立ちとしての物語が今現在も連続して国民に共有されているのである)
であり、長年の歴史に基づいた文化と日本国土の風景が日本人の精神に結びついているのである。

柴山曰く、日本には天皇という御存在があるが、天皇の銅像は立ったことは無い。
日本人の神格化、英雄視の象徴は上記に挙げた三か国とは違い、
長年の歴史に培われて日本人に刷り込まれてきた日本国土の風景だからである。
長い歴史をかけてその土地で暮らしてきた土着性に基づいた「瑞穂の国」という心象風景と結びついているのである


この解説はなかなか秀逸であるが、一方別の考え方もでき、
私が説明し、付け加えたいのは、田舎の風景を例にすれば、田んぼや畑だけの農村地帯であっても
必ずと言っていいほど、鎮守の森や神社があったりする。
神社は天皇と文化的宗教的側面から繋がっているため、ある意味神社が天皇を象徴する
ものとなっているとも取れるのである。つまりこれが自然国家における権威的象徴の一つなのである。

神道の祓詞と天津祝詞に出てくる言葉に


恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す
畏かしこみ 畏かしこみも 白まをす



という祝詞や祓詞があるが、要約して説明すると
自然を恐れ、(こわがれ)神を畏れ(畏敬をもってうやまう)意味を込め畏れよという意味である。
ここに西洋とは違う日本人の超越性の限界点、臨界点が線引きされているのである

※この超越性における日本的線引きの基準が
 ニヒリズムに対しての日本人の防波堤の一つになっている、と考える

自然=天皇とが結びつき、
それが権威となって天皇という御存在は半神半人の大祭司として、国家の元首としての
日本人の精神の束ね的存在になっていると考えるのである。

その点、アメリカやロシア中国の場合、独立戦争や革命によってできた国家の為
国家の生い立ちがはっきりしている。
神話性や人々を結びつけるよりしろが無い為、このままでは国家が成り立たないのである。
つまり権威であり、国家の存在を民に信用させなければ国家は成り立たないのだから当然である

その為物語を作成、人工的に植えつけたという意味で、
イデオロギーや個人崇拝に頼った国家の物語を人工的に作り出しそれを国家の骨格として
国民を束ねているのである


・日本の伝統的共同体を破壊し続ける左翼と新自由主義者


本書で中野曰く、そもそも日本的なものを壊したいというのは左翼的な考え方であり
丸山眞男を筆頭に戦後左翼は一貫して日本の共同体を批判し壊してきた。

理屈としては、

日本が大東亜戦争というバカな戦争に突き進んだのは日本に
西洋の様な近代合理主義、個人主義が無いからであり
日本の伝統的なつまり前近代的な農村共同体や大家族主義があるせいで自立した個が育たず
合理主義的考えを阻害している。


だから古い日本をぶち壊し、進歩主義を掲げるのが戦後日本の左翼なのである。

だがこの左翼の分析は間違っており、
近代化したせいで日本の前近代的な共同体が壊れていたため
昭和恐慌の危機も重なり、日本は全体主義的、軍国主義的な方向に傾きざるを得なかった。
つまりは、食うに困り、生活基盤が破壊された共同体の人間がそういう過激な方向に流れたというのである。

そもそも全体主義自体、前近代的な現象ではなく、近代的な現象である。
しかし戦後、そこをうまくすり替えてアメリカマッカーサーたちの占領軍のロジックに乗ったのであり
戦後左翼は反米的な立場をとりつつ、アメリカと同じロジックの上にいるのである。


そして新自由主義に乗っ取られ、壊れた戦後保守も同様である。
左翼批判をするくせに、その内情は
自立した個を作れ、束縛からの解放を掲げている。

日本の農業(日本の伝統的な農村共同体)は古い、日本的なしがらみや習慣の打破、
などと言っているのだから、戦後左翼と変わらないのである。

結局のところ、戦後丸山の言ったロジックの上で踊っているだけなのが
戦後の新自由主義と結託し堕落した現在の保守の姿のである。
現在の日本の保守(戦後アメリカ迎合に重きを置いた親米保守)は戦後左翼と変わらない。

戦後左翼Bであり、両者とも新自由主義的で、グローバリズムに親和性が高いのである。


※その2に続く


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