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池波正太郎の作品とその思想Ⅰ~池波作品のファンについて~

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最近は政治的な事柄の関心が薄れているので、文化論的な記事が多くなると思いますがご容赦を。

今回はここ最近池波作品を読んで考えていることについて、
散文的になると思いますがメモ代わりに書いていきたいと思います
今後随時思った事を書いていきます


では本題、



今年、池波正太郎の作品、剣客商売を読んでいて、
以前から気になっていた事だが、自分なりに色々と考えてみた。

池波は果たしてどんな思想の持主だろうか?という事である。
私自身、池波作品は鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人藤枝梅安とテレビで映像化されたものは
よく見てきた。

ここ数年、保守界隈の評論家や知識人の発言や左翼リベラル方面の人間を総合的に取り纏めていくと
次の様な事実が浮かび上がる。

・保守、右派系の知識人で池波作品いついてはあまり触れない。
 もしくは興味が無い事が見受けられる


・左翼系、リベラル系の知識人や文化人に
 異様に池波教とまで呼ばれる熱狂的なファンが多い


一番最初、この事で引っかかったのは、西部邁・佐高信の学問のすゝめを見ていてであった。
西部先生は熱狂的な池波ファンの佐高の話を聞いていたが、
余り池波作品には興味を示してないように見受けられた。

どちらかというと、西部先生は水戸黄門や大岡越前の様な何にも考えなくていい
単純な紋切り型の娯楽時代劇の方が好みのようで、話の内容もそれであった。

それに引きかえ、佐高の方は池波作品の時代劇を熱狂的に語る。
佐高自身は、どうも藤枝梅安が好みのようである。

また何年か後、判ったことであるが、池波作品のファンは鳥越俊太郎や石田衣良、檀ふみなど、
進歩的知識人の劣化版の様ないわゆるサヨクやリベラル的な思想の有名人にかなり信奉者がいるらしい。
鳥越も梅安が好きらしい。

私も池波作品は好きだが、映像化されたものの方が好みである。
原作を読んでみた感想としては確かに面白いが、自分の心の中で、どこか冷静な冷めている自分もあり
佐高や鳥越の様に作品にのめり込んで惑溺する、心酔する所まではいかなかった。

また、池波の作品の中では私は鬼平犯科帳か、剣客商売が一番好きであり、私の思想の中では近い存在である。
自分の中では梅安や、真田太平記は遠い存在である。
どうも左翼系の人間には仕掛人藤枝梅安はのめり込むほどの魅力があるらしい。

逆に池波のエッセイは読みたくないと鳥越自身は語っている
(作者の考えに基づく余計な情報が入ってきて作品を純粋に楽しめないから、だそうである)

私が池波の剣客商売を読んでいて感じた感覚や直覚は福田恆存の演劇論に出てくる
醒めて踊れ的な状態とはこのことを言うのだなと実感した
池波信者と呼ばれる熱狂的なファンは確かに心酔し、池波作品を何度も読み返し
作品を内容を熟知しているかもしれない。だが熱狂心酔は裏を返せば、盲目的になっているという事であり、

池波の意図した考えや作品の内容を深く理解してないともいえる。
彼らは冷静に判断する醒めている自分が無いのだから。

精神が熱狂と惑溺、心酔と没入してしまってる状態で、その作品の本質や、そこから広がる思想が捉えることが
出来ようはずもない。
感動屋には物事の本質はわからない。感覚が動いている状態でどうして深い洞察が出来ようか。

今書いた部分は、演劇論と同じでこの事に関しては、小林秀雄も同じような事を言っている
どうも左翼系の人種は、物語というフィクションに溺れ、熱狂と心酔の中に身を置き、現実や事実の境界を
引く行為が出来ず、分別できない傾向がある
己のあこがれる世界へ惑溺し、理想を現実化しようと夢を見続けている。と言うほかあるまいと私は思う。

池波正太郎の江戸料理長と言う番組を見ていた時、ゲストである元警視総監が
自信満々に鬼平の舞台である、あの当時の江戸時代は、治安が悪く
犯罪が頻発し、、、と発言していて私は見ていて少し呆れてしまったし、やはり熱狂的な熱に浮かされた
所謂ファンと言うものは、事実がここまで見えていないものかと思ってしまったのでる

実際鬼平の生きた松平定信が老中であった江戸後期、江戸の治安が
テレビドラマや小説で描かれてるような火付けや殺人強盗、暗殺が頻発する様な荒廃した江戸と言うのは
事実とは異なる。

実際は非常に治安が良く、一年に殺人事件が数件も起きないほどの治安の良さであり
連続殺人などが起ころうものなら、江戸の街はその話で大騒ぎになるほどの治安の良さであったとされている

事実として言うのなら鬼平こと長谷川平蔵宣以が解決した事件は
葵小僧の捕縛と処刑、盗賊神稲徳次郎一味の捕縛くらいが事実としては有名であり私は他は知らない

小説で描かれている事件のほとんどは作者池波正太郎の創作である。
または長谷川平蔵が行った政策は人足寄場を作ったことであろう。

つまり、鬼平の生きた時代の江戸は今の東京とは比較にならないほど治安が良かったという事であり
この番組ゲストに出た元警視総監の認識は正確ではない。
池波の創作に絡め取られてしまってい、事実と空想の線引きがごっちゃになっているのだ。

という事もあり、池波ファンは池波の思想や考えを誤読、もしくは事実と創作を混同し誤った解釈
をしているのではないか?と言う疑問が私の心の中で生じたのである。
そういう事もあり今後不定期ではあるが池波論や池波の思想について今後書いていこうと思う。

私の様な醒めてる目線で池波作品を楽しむ者が
一ファンと言うべきかどうか分からないが、中村吉右衛門さんの演じる鬼平犯科帳の長谷川平蔵が
凄く魅力的であり好きだ。
たぶん池波の作品というものは役者が演じ、脚本家が筋書きを構成し、映像となって初めて
その魅力や美しさ、精神が反映されるような気がするのである。

池波の文章は端的でわかり易い文章である。
そして情景描写、生活感(食や風俗、季節感)などを重視する。
この文化的描写が池波作品の骨格であると感じるのである。
役者が役を演じ、客や視聴者がそれを見るという時点で、その作品は作家から手を離れる。

役者が変われば雰囲気も変わる。客の層や見る視聴者のレベルによっても反応は変わる。
これが文章による文学作品と演劇による劇という芸術の違いでもあるのだと私は思うのだ。


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