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日本よ、今...「闘論!倒論!討論!2011」 表現者スペシャル~震災後の文明転換論[桜H23/6/18]







やはり今回の議論は勉強になった。
先週のパチンコの議論なんか、なんの生産性も価値も無く、3時間無駄にしゃべっていただけだったが(笑)
今回はいい議論だったともう。
先週の議論は延々と3時間しゃべる議論では無かったし、パチンコの問題点を言って
パチンコはやっぱいけませんねで済む話なので10分もあれば十分の議論内容。

今回の議論内容について西部先生の話が長いだの、評論家や大学教授の話なんか役に立たない、もっと具体的な案を出せだのと狂った事を言ってるバカもいるようだが、具体的な案を示したりできたら危機ではないし
そんなに簡単に解決方法を見いだせるなら人間社会は今頃極楽浄土になっているし、人間はもう神仏レベルまで到達しているわけで
人間社会に争いや差別が未だに世界は満ち満ちていて無くなるどころか危機は次から次へと襲ってくるのが今の人間社会であり、そんなに簡単に危機に対する処方箋を求めようとする考え方がまさに大衆ど真ん中の精神であり、戦後主義の考え方そのものだと言っておこう。


で、今回の討論についての考察解説してみると、冒頭に西部先生が提起した事がまさにその通りだと感じる。
技術主義という名のある意味カルト的な信仰は多いな間違いだという事にいまの日本人の大体は気がついていない。
技術革新と称して安全な生活暮らし、豊かな生活を追い求め、技術に狂信的なまでにつっ込んでいく姿はまさに今の日本人の象徴だろう。
この定義でいけば、今の日本で流行っている、拝金主義という名の拝金教、反原発反核教、戦争反対だのセカイヘイワだのと言ってるヘイワ教、
ケンポウキュウジョウ堅持だのと言ってるケンポウキュウジョウ教etc・・・、日本人というのはこうやって物質信仰、何か一つのものに依存して何も考えない思考停止状態だと言ってもよい状態が今の日本社会を覆っている。
まさに今の日本の状態はオスヴァルト シュペングラーが言う所の文明の没落状態を言いえて妙に表していると言える。

今回の原発災害で反原発、脱原発を叫び、自然主義を標榜している連中はある意味カルトであり
自然に帰るだのとか、エコロジカルバランスだのといってる所謂緑の党的な思考連中も含めてこういう連中の言ってる事は知的怠慢だと切り捨てた西部先生の批評は言い得て妙であり、しっくりきた。
自分もこういう連中の物の考え方をどういい現わして批評するかをいつも考えていたが、この発言は今までの自分の考えていた問題点を一気に晴らしてくれたので、自分にとっては大収穫だった。

そして今回の議論において一番重要な論点は、3つあり、第一に、技術主義は危険を呼び込む、もしくは豊かさや利便性と引き換えに
何らかの危機を孕んでいるものであり、新たな技術の進歩は新たな危機を生む、そして対処できないような新たな危機事態を招くという事である。

第二に、原発事故を見れば判るとおり、安全ではないから反原発脱原発で、原発の代用として新たな自然エネルギーなどという、また新たな技術革新による技術信奉でまた新たな危機を招きいれているという点である。
原発は制御不可能だから止めると言って、自然に戻ろう、自然主義などと称して自然と共に生きるなどと偽善を言っている連中は頭がおかしい。
なぜなら、今度は自然エネルギーや自然現象を制御して利用していこうなどという自然を人間の技術で制御するなどというトンデモ理論である。
ただでさえ原発を制御できないのに風任せ、お天気まかせとも言うべき風力や太陽光、に地熱など自然を制御して利用するなどという事が出来るわけがない。
技術が危ない、原発反対というなら電気を使うのをやめろと自分もこのブログで以前からいってきた事だが
今回のこの議論をみてあらためて確信した次第である。
電気であれ何であれ、人間が作り出したものにはすべて危険性や危機が孕んでいるのだからその危機を受け入れる事が出来ないならそういう連中は文明を捨てるべきだ。

第三に、今回の起きた大地震災害を人間が制御できない現象であり、危機や危険に向かい合う覚悟が今の日本人には何もないという事。
何でも安全性やただひたすらヘイワを希求し、責任や都合の悪いことから逃避もしくは責任転嫁するという卑しい戦後日本人の特徴が今回の震災で露わになったという事だろう。
いくら安全性を求めてもそんな事言ったら人間は生きていけない。完全な安全なんか無いし、完全な技術なんか無い。
なぜなら人間は絶対的に不完全であり続けるから。
完璧な人間ならそれはもう人間でなく神や仏であり、完全な人間を想像しても人間の脳内で具体的には想像して定義できないだろう。
あくまでもそれは理想であり想像の範疇であり、漠然としたものになる。
人間は危険の可能性をいろいろ想定するが明らかにありえない様な想定は想定内からはずせざるを得ない。
例えば、明日隕石がおっこってきて人類滅亡の可能性だの、明日アメリカ大陸が沈むだのそんな可能性無いとは言えないが少なくとも明日起こるとも思えない。
なぜならそんな可能性は人間が許容できる危機発生確率だから思考や想定から外すという人間の合理的価値判断基準が働くからである。

という様に、今回の議論で話し合われた事はパラドックス的な矛盾を孕んだ議論に対してどう考えてどう対峙していくかという事である。
不毛な話だから無駄だとか具体的な話をした方がいいとか言ってる連中には理解できないだろう。
なぜなら、こういう連中はそう言ってこの答えの無い議論から逃げているから。
今の人間の文明状態は戻る事も出来ない、だからと言ってむやみに新しい技術にのめり込んでいく事も危険であるというジレンマ状態にあり、このジレンマ状態をどうにかして乗り越えていく知恵や経験が必要だという事だ。

保守思想はこの点において、

歴史という時間によって醸成、磨かれた伝統内にある文明の経験を見い出してそれをどう解釈し、どう基準として置き、暫定的でありながらも人間の精神性や人間社会の共同体においての絶対的な基準を引いて、物事を考えようという考え方でもある。だから、相対主義とは対立する立場にある。

また、

深く考えれば人間の考える事、やる事はすべて誤謬性や可謬性を孕んでいて懐疑したら無限遡及の状態に陥るという事だ。
だからどこかに暫定的でも物事を考える基準を設けないと今度は虚無主義へと人間の精神は落ちていくということであり、人間は危機に寄り添って生きていると言っても過言ではないのだ




ここ最近は、仕事も忙しいがその傍らではあるがいろんな本を読んで勉強している。
今読んでいる西部先生の名著とも言うべき「知性の構造」を読んでいるのだが、西部先生はもうかれこれ20年近く前から同じ事を延々と言ってきていたのだなと実感したし、
とうの昔に日本が危機状態に陥ればこの様な体たらくでヒステリックな状態に陥るだろうという事を判っていたのだろう。
この本は難解ではあるが、自分の中での気づきや思考や思想の整理や論理展開の仕方、他者の言っている言説についての矛盾点なども理解したり判るようになってくる。
色々と勉強もしているので、復習や自分の論点整理において読んだ本についての批評や内容を基に論理構築の覚書として時間があればブログに書いていきたいと思っています。

今回の様な議論をもっとやって欲しい。
政局とか個別の具体的な議論なんかやってたらモグラたたきの様な事態に陥るので、限られた時間の中において
もっと有効な概略的な大づかみな議論をやるようにチャンネル桜さんにはお願いしたい。
後の個別の問題についてや政局なんかは保守思想を標榜する方達は自分である程度考えるのであまりそういう議論ばかりに偏重しなくてもよいと自分は思う。

反原発とか言って安全がどうのだのと言って自然に戻ろうと言ってるくせに宇宙開発がどうのとか、ハヤブサがどうのとか何なんだコイツらという感じがします(笑)


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