表現者スペシャル「戦後保守の意味を問う」 [桜H23/10/15]









今回の討論は久々に表現者スペシャルと言う事で、西部先生が出演されて保守思想や戦後思想の歪みや混乱を端的に述べています。

動画のコメント欄を見ると西部氏は話が長いとか、だらだらしゃべって意味がわからないとか、討論を一人で仕切ってはダメとか、今回の討論に参加している奴は口だけで実践者じゃないとか言ってる阿呆がいますが
こういうゴミみたいな奴等は無理して見る必要はないです。
レベルが高過ぎて言ってる事が理解できないか、自分の考えにそぐわないからディすってるだけの引きこもりのアホウヨ共だから。
2ちゃんなんかの連中には絶対理解できないからイチイチコメントを荒らしに来ないで自分の巣にもどりましょうね、ウジ虫。

個人的に西部邁の討論番組を3時間で毎週やってくれれば必ず見ますよ(笑)
いつもの討論と違って違和感を感じる理由はパネリストが燃料投下してそれに対して
西部先生が批評、考察するという一問一答方式の様な形になって議論が進むからでしょう。
こういう議論もありです。西部先生の膨大な知識や思考と言うのはいつも勉強になります。

西部先生の話し方は思考したうえで絞り出される様にでてくる発言ですから、聞き手もよく考え思索を巡らし
議論内容を把握することが求められるのです。
いつもやってる議論は問題に対しての答えを安易に出そうとするので見ていて飽きてしまったり
議論が間違った方向に進んだりしてしまう事があるのです。

今回の討論は思考思索を言葉に表して議論して新たな思考展開をさぐる討論。

いつものやってる討論は情報や問題を議論の俎上にのせてそれを分析して今後の展開を予測したり対策を考えたりする討論。


根本的に違います。
そういう事がわかっていない連中がいるという事に呆れますね。

話は変わって、ハイデッカーやニーチェも話に出てきて、読まないといけませんね(汗)
自分も勉強がまだまだ足りませんので時間があれば読んでいかなければと思います。
実存主義哲学の勉強が必要なのか・・・(笑)

自分がここ最近考えていた問題を今回議論で話し合われたのですごく勉強になりました。
物事を判断する基準とは一体どこから来るのかと言う事です。
自分は判断する基準とは己の経験や、己の所属する共同体、つまり国家や民族の伝統や歴史に基づく
常識や道徳から来るものだと考えていました。

遠からずあたっていたのですが、その常識や道徳が今の日本は崩壊してしまって判断基準が無くなってしまい漂流している精神状態が今の日本人の精神構造ではないか?と言う事です。

とりあえず議論内容は濃密なものですので、詳しく知りたい方は繰り返し見て、自分で考える事という作業をやってみる事です。
ただ議論の内容を見てそれを異口同音に話すだけの議論は単なる情報収集にすぎません。
だからいつもの討論の方が一般人受けするのは何も考えなくてもいいからなのです。
こういう議論が、議論の本質であり、冷やかしコメントを書いてる連中は自分で物事を考えられないのでしょう。
表現者の議論は見ている視聴者もこの議論を通じて物事を深く考え自分達もこの議論に対しての批評や思索を開陳して、
自分で物事を思索するという脱大衆化の作業なのです。
自分で物事を考えないで知識人からの発言を情報として吸収し、鵜呑みにするだけならそれは単なる大衆(マス)にすぎず、保守思想とはかけ離れた存在だという事です。
自分はこういう感じでこの議論を捉えていますが、戦後保守にはこういう事が理解できないという事なんだと思います。
開口一番、西部先生の言った日本に保守は無かったという事の意味を保守派と自称している人間は考えてみるべきです。

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Comment

西部氏は元々バリバリの左翼で「保守」に転向したのは80年代から。
従って、それ以前から伏流として流れていた日本の保守の活動を知らないか、故意に無視しているかだ。

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1315.html
↑保守主義の意味や系譜
Re: タイトルなし
> 西部氏は元々バリバリの左翼で「保守」に転向したのは80年代から。
> 従って、それ以前から伏流として流れていた日本の保守の活動を知らないか、故意に無視しているかだ。

そんな事、言われなくても知ってますが。

あなたの言ってるそれ以前からある伏流として流れていた日本の保守の活動って単なる右翼思想だと思いますが。
西洋の様に論理的に体系化された確立された保守思想なんて日本にはありませんよ。
明治から戦前までにあったとも到底言えないし、戦後も単なる反動的な活動でしかなかった。
ただ、日本の文化、伝統と言っても漠然とし過ぎていて日本的保守理論の体系なんかありません。
もしあるなら、とうの昔に今のケンポウなんかとっくに変わってるはずだし、カネ狂いの新自由主義者が跋扈する堕落した高度大衆化社会に日本がなるはずがないです。

日本人は保守思想を哲学的にも政治的にも文化的にも考えた事がない、ただ漠然と感じていただけで感覚や感性でしか捉えていなかったという事です。
だから日本に保守主義なんか、はなから根付いていなかったという事です。
主義ではなく、保守思想と言うなら、細々と日本にもあったのだと思いますが、主義(つまりイデオロギー)化されたものなんて日本には絶対にないですね。
  • 2011/10/20 07:29
  • yasu
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