表現者スペシャル・さようなら戦後日本[桜H24/1/21]










最近ブログのテンプレートの調子が悪かったので
適当なブログデザインに変更しました。
こっちの方が動画も大きく貼れますので当面はこのデザインで行きたいと思います。


で、本題ですが今回は表現者スペシャルという事で西部先生、富岡先生、中野先生と、雑誌表現者に集う
方々の討論なんですが、やっぱ中野先生のバカ保守という事が今回の話のテーマとなったと思います。

自分もブログでいつも書いてるんですがキチガイサヨクとアホシュ、バカウヨという類はどうしようもなくクズだと
いう事です。簡単に言ってしまえば脳タリンなんです(笑)

複雑に物事を考えれない、自分の感情論だけをまくし立てる、人の話を聞かない、批判するとすぐにレッテルを貼って意味不明な事を言うヒトモドキどもがこういう類の連中です。
自分はこういう知恵遅れにたいしては、コイツらは鈍感ですから、
はっきり厳しくわかりやすく(笑)言ってやってるだけで、はっきり言ってこういう気持ち悪い生き物には生存の資格なんかないですw

できうる限り、こういうゴミとは関わりたくないのですが、実生活や自分の住んでるこの国において実害が出てるので自分は発言してるだけです。
こういう鬱陶しい連中が早く死滅して欲しいな~と日々思ってるんですが、こういう奴等がなぜ未だにゴキブリ以上の生命力を保って生き残っているのか不思議でなりません。

この討論を見て、自分でもいろいろ考えたのですが、
日本人って案外極端主義で一度スイッチが入るとなかなか変わらないし、中庸とかバランスとかからはかけ離れた国柄なのではないかと。
日本の歴史を見てもわかるとおり、戦国時代の様な国内闘争を100年もやってみたり、かと思えば、明治維新以降の様な国家主義振れて自己犠牲もいとわない様な事までやってみたり、そして大東亜戦争で負けた後、
今度は極度な理想主義、ヘイワ主義、自虐史観に振れたりと、よくよく考えると極端に流れる傾向がある様です。

また、水島社長が唯物史観=サヨクみたいな事をよく言いますが、結局の所、
日本人って、多神教でモノにまで神が宿ると考える国民性というか民族性なのですから、無の思想という
禅の考え方や形のないものに惹かれる反面、異常なまでの唯物論的な考え方が日本人の精神性に流れている様な気がします。
結局は両極端の精神性が同居しているのが日本人の根底になる様な気がしますね。

自分が好きな歴史上の人物で徳川家康がいますが、あの人物はゴリゴリの唯物主義者で人間の言う事なんか信用しない人物ですからね。
だけど、異様に保守的に感じる面も持ち合わせている訳です。
自分の考えでの仮定としてですが、サヨクだから、マスクス主義だから唯物論がダメというのではなく
サヨクやマスクスの考える唯物論が狂っているのであって、
日本人は目に見える形で納得しないと動かないという傾向があると思います。

今現在の保守運動が広がらないのはそのせいだし、人に伝えやすい理論が構築できない、拠って立つ目に見える形での日本の保守の形がわからない、
だからわからないものには共鳴できないというのが日本人の思考なんだと思います。
で、わかり易くて、威勢のいい事を言う橋の下乞食やコイズミチョンイチロウみたいなバカに引っかかるのだと思いますね。
日本人は上っ面しか考えない国民の精神性なんだと。
保守思想的な考えがわかる人って言うのはかなり優秀な人だという事だと思います。
まあ、自分が優秀だとは思いませんが。

という事で、家康を見習うと冷血で冷酷、唯物的な非情な保守思想でなければ日本の保守政治や保守思想は根付かない可能性がある訳です。
穏やかで漸進的な保守思想が日本人が理解できないのは日本人は刺激とか感覚でしか動かないという証左ではないかと思うのです。
だからガイアツで日本を変えようなどというTPP問題を見ればわかるとおり、アホな事を言い始めるのではないか?と自分は考えた次第です。

それにしても、富岡先生のあのフィリップ、わかり易いまとめですね(笑)

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