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僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された  書評

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僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された
(2013/12/04)
佐藤健志

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一つの戦後史観として読むには興味深いが、
    矛盾点やこじつけも多い。あくまでも一つの見方として


著者の本は初めて読んだのだが、面白くもあったが、矛盾点やこじつけによる無理な論理展開が目を引いた
まず、本の最初の方で著者の言う戦後日本のファンタジー戦後史がなぜ崩壊せずに
今もなお継続されているかという点において、
たまたまそうなった、偶然の産物であると言ってしまっている点だ。

それを言ってしまったら、考察も理屈も論理もへったくれもないのだから、長々書く必要もないではないか。
偶然の産物に論理も理屈も通用しなのだから。
さっさとまともな考えにもどしましょう、今までの戦後史観は間違いでした無かったことにします、終わり。
で終了である。

一旦はこの文章を読んで読むのを投げてしっまた。
だが気を取り直して一応は全文を読んだ。
戦後、その当時のサブカル、文化、流行などを結び付け日本人の戦後思想とファンタジー戦後史観を
解説しているのだが、どうもこじつけも多い気がする。
ノストラダムスの項ではちょっとそれはどうなの?と思う所もあるが、著者のキャラから来るものか、面白いのも確かだ。


順を追って指摘していくと、まず、マッカーサーの人物評は自分は大きく著者とは異なる
著者の佐藤氏はマッカーサーは天才的な軍人でありと評しているが、自分はそうは思わない
どちらかと言うと、自分は高山正之氏のマッカーサー像の方がしっくりくる。

高山氏はマッカーサーを無能、で馬鹿な虚栄心や功名心の塊で戦後の世界状況を把握できなかった
馬鹿と評している。

己が大統領になる為、連合国総司令官の地位を私事に悪用し、
その上大統領にもなれなかったのだからお笑い種もいいところであるし
戦後ソ連はアメリカと同じ己らの味方とトールマン大統領同様思い込んでた節があり
左翼の脅威を微塵も感じていなかったという点で、思想的白痴状態であったのだとアメリカの指導部を評している
これはマッカーサーも例外ではない。

アイシャルリターンなどと言う芝居がかった捨て台詞を吐いてオーストラリアに落ち延びるあたりも無様である。
フィリピンに侵攻した日本軍にそそくさと尻尾を巻いて、部下を見捨てて逃げる上官が天才的なのか?
私には著者がマッカーサーを神格化し、天才だと思う事が理解できない。
戦略的にも政治的にも先見の明が無いのだから、どう考えても天才ではないと自分は感じるのだが。
朝鮮半島で戦争が起こり、行き当たりばったりの日本統治政策を行ったという点で
どう考えてもマッカーサーが天才的とは言えまい。
慌てたアメリカが日本政府を突き、警察予備隊つまり自衛隊を創設させるのだが、この項はこの本で書かれている通りの
経過をたどることは事実だ。

それにしてもアメリカの上官指揮官と言うのは異常者が多い。
パットンにしても、マッカーサーにしても、ルメイにしてもハルゼーにしても
単なる差別主義者で自己顕示欲の塊のような連中ばかりではないか。


次に著者が掲げる日本の、戦後何でもありに陥った、ファンタジー戦後史観の脱却についての項で矛盾点がある。

まずファンタジー戦後史の定義と
戦後史がどうして作られ日本国民にこの考えが共有され今もって存続しているかだが
日本人の戦争に負けたことを無かったことにする
また負けを勝ったと言い張る為の強弁、言い訳、現実逃避の一種であり
アメリカの戦後の統治が寛大ではあるが穏健ではない二重性を含んだ統治によりアメリカを日本の味方、もしくは思想的な同胞と錯覚したという事である。
大日本帝国が掲げた八紘一宇はアメリカが掲げる世界新秩序である自由と平等を掲げたものと思想は一緒で


    真の日本=アメリカ=八紘一宇

  アメリカの覇権=日本の繁栄=八紘一宇の達成
であり

アメリカと日本は同一で八紘一宇は世界の覇権は日本が握る意味であるのだから、
八紘一宇を達成したのがアメリカに入れ替わっただけでアメリカと日本を同一とみることにより、
日本は負けたのではなく八紘一宇を達成した、つまりアメリカと共に勝者となったという
こじつけ、現実逃避を行ったというものだ。

そして、このファンタジー戦後史の崩壊の危機が1945年から現在位に至るまでの間に
4回危機に瀕しており、その4回ともこのファンタジー戦後史観の特徴である何でもありの構造によって
再構築立てなおされリピートするという機能が内包されてい、日本人は
戦後同じ場所をぐるぐる回っている状態であって
言うならば螺旋階段をひたすら登っていて、戦後一貫して同じ風景を見続けている、という理屈である。

次に著者のファンタジー戦後史を克服脱却、捨て去る為の定義と左翼保守についての考察である

・左翼は近代を否定し、戦前戦後両方を否定する事によって自滅した(いわゆる戦後左翼)

・三島由紀夫などの非戦後保守は戦後を否定し、戦前を肯定することにより自滅したと言っている。

・そして昨今流行りの反米保守つまるところ、戦前を肯定し戦後を否定し、
 戦後対米追従を是としてきた戦後保守をニセモノと批判し、自分たちが
 真の保守であるという新保守(と著者は定義している)も戦後という今を生きる者が
 戦後を否定しているのだから己の立脚点を失っているという点で、三島同様であり、
 戦後保守をニセモノに仕立て上げ抵抗勢力としてスケープゴートにするあたりは、
 小泉首相が行った構造改革路線の手法と同じであり、
 憲法改正、核武装など自分たちの都合のよい事だけは急進的に改革を推し進めようという勢力である・・・、
 と著者はチャンネル桜の水島聡を例に出して批判している。

著者はこのファンタジー戦後史を脱却だの、克服だの、捨て去る為には、だのと言っているが
著者の言う理屈で言えば、戦後を否定すれば、三島のように戦後史に潰されてしまうと、著者自身水島批判の項で詳しく語って言っているではないか。
そもそも脱却、とか、捨て去るだとか言うが、この言葉自体、戦後を否定する、捨てると言っているのだから
著者の理屈である自己の立脚点、つまりはファンタジー戦後史の時代を生きる、戦後史批判する者自身のアイデンティティーの否定であり、自滅の道を歩むこのになるだろう。

そして著者はこのファンタジー戦後史をどう克服するかについて、戦前と戦後両方を肯定するとだ、
と言っているのだから呆れる。
なら戦後、戦前共に肯定するのだから結局はファンタジー戦後史観は継続されるという事ではないのか?
戦後の肯定=ファンタジー戦後史の肯定であるのだから。

私の結論は著者の言う戦後史理論が正しいとすれば
ファンタジー戦後史の脱却など不可能だと言うほかない。
このファンタジー戦後史観にはまり込んだ原因は日本人自身の戦争に負けたという事からの現実逃避と負け惜しみであるのだから
負けを認めよ、と言ったところで詮無いことだ。
負けを認めたくないからこんなヘンテコなファンタジー戦後史に逃げ込み逃避してしまったのだから。
言ってる事が本末転倒である。

著者が言うには戦後史からの脱却を図る機会は日本の経済が混乱衰退し危機に見舞われた時に限られると言っていて
新自由主義的な構造改革グローバル化路線が破たんしつつある今現在(2008年リーマンショックから~2014年)そのチャンスであり今現在すすむ第四戦後日本の道を歩むか、戦前と戦後の両方を踏まえた新たな日本に進むかの分岐点だと言っているが
残念ならが間違いなく、日本はまた第四戦後の道を歩むだろう。

著者の佐藤氏自身、自分の父でもある構造改革路線を打ち出し中曽根政権のブレーンと言われた佐藤誠三郎が属したグループ一九八四を批判しているが、著者の属す表現者グループもまた、戦後レジームからの脱却だのと称しつつ戦後レジームの再構築をしようとしている安倍晋三首相を勉強会まで開き応援し支持したではないか。
まさにデジャヴとはこの事であり、皮肉なことだ。

しかも安倍は戦前の肯定と同時に、戦後の肯定、つまり、
靖国神社参拝、憲法改正など戦前の良い部分を持ち出し肯定すると同時に
構造改革、グローバル化をこの期に及んで押し進め、戦後日本の旗印でもある平和主義を推し進めるという
戦後と戦前の両方を肯定するという著者の理論を実践しているではないか。

戦前と戦後の両立、どう考えても無理があると思わないだろうか?
著者自身安倍の政策には批判の立場のはずであるから、著者の言ってる事はここでも矛盾していることになる
著者の掲げる理論を実行している安倍を著者自身で批判するという何ともおかしな話である。

結論を言えば戦後と戦前を両方肯定し、両立させるなど不可能に近いと言ってよい

はっきり言うが著者自身もファンタジー戦後史にどっぷりつかった人物であり、
先の大戦の日本の大敗から逃避してると言わざるをえまい。
最初の項で著者のマッカーサーの人物評を私は批判しているのだが、何故あそこまで著者はマッカーサーを天才だと思うのか?である。
つまり、はっきり言ってしまえば、マッカーサーを無能で馬鹿と言ってしまえば、その無能で馬鹿に負けた日本は何なんだという話になる。

だから、マッカーサーの神格化の話を出したり天才だと評する事で、日本は大東亜戦争でアメリカに大敗したが、日本人は本来優秀であり、天才に負けたのだからしようがないという風に負けを肯定している、そして本書の方で本来日本人は優秀であり・・・、と肯定しているのだから始末に悪い。
つまり逃避に過ぎない。そして著者は戦後を肯定する事と言っているのだから著者自身もファンタジー戦後史に絡めとられた人物と感じるのだ。

私ははっきり言おう。マッカーサーは馬鹿だ。無能だ。そしてその無能で馬鹿に負けた日本はもっと馬鹿で無能なのだと。
だから私自身、大馬鹿であると認める。
著者の言う現実逃避、吉田茂が言った、負けっぷりをよくしようだのと言うふざけた虚勢、負けを勝ちにする見栄と言う日本人の悪しき思考から脱却するのは己の非力、無力無能さを認める所から始まるのだから。
負けは負けであり勝ちは勝ちだ。
だったら次勝てばいい事であるから、著者の様に終わったことを、グダグダ理屈をこねて言ったところでしょうがあるまい。

戦後史なぞ、著者の師西部邁氏がいうとこころの、戦前の残りカスの様なものなのだから戦後など肯定するにも値せぬしその戦後に生きる日本人もまた大した事は無いと言うほかあるまい。

どうせ無理なら三島の様にあたって砕けるか、
今の日本の世の中に背を向けてペシミズムを気取って今の世を楽しむしかない事だろう。

著者に言ってやりたい。


小林秀雄曰く、

利口な奴はたんと反省するがよい。私は馬鹿だから反省なぞしない



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