日本の伝統的共同体の考察と成り立ちにつて考えてみる その1      ~国家と天皇 伝統的共同体を破壊する者たち~

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まともな日本再生会議:グローバリズムの虚妄を撃つを読んだので
読書で得た情報や知識などのまとめと、アウトプットを兼ねて
こちらに個人的な考察も含めて書いておきたいと思います。

書評の方で大雑把な事は書いてあるので
この本を読んで、特に気になった点である共同体について書いておきます



・左翼や新自由主義者がモデルにする国家像は日本には合わない
                  ~人口国家と自然国家の違い~




まともな日本再生会議:グローバリズムの虚妄を撃つ(以降本書とする)の第四章で
日本の共同体の再評価が行われ、鼎談者の中野、施、柴山による考察とが述べられている

まず、日本はアメリカやロシア、中国の社会制度の真似をしても無駄であり、全く役に立たない
なぜなら、今挙げた三か国は代表的な近代主義的な実験国家であるからだ。
つまり、ヨーロッパの様な深い歴史に基づいて文化が根付いている国家ではなく
人工的に作られた文化を漂白した近代国家であるからだ

アメリカ、ロシア中国と歴史上の指導者の銅像が立ち、英雄視され神格化されている
アメリカならばリンカーン、ロシアならばレーニン、
中国ならば天安門広場の毛沢東の肖像画を思い出すだろう。
だが、日本では元首を銅像なりなんなりを立てて、英雄視する神格化する文化は無い。

なぜならば、日本は自然発生的に作られた自然国家
(つまりは伝承や神話から国家が成り立ち、しっかりとしたルーツは辿ることはできない。
故にその伝承や神話などが国家の枠ぐみ
つまり国家の成り立ちとしての物語が今現在も連続して国民に共有されているのである)
であり、長年の歴史に基づいた文化と日本国土の風景が日本人の精神に結びついているのである。

柴山曰く、日本には天皇という御存在があるが、天皇の銅像は立ったことは無い。
日本人の神格化、英雄視の象徴は上記に挙げた三か国とは違い、
長年の歴史に培われて日本人に刷り込まれてきた日本国土の風景だからである。
長い歴史をかけてその土地で暮らしてきた土着性に基づいた「瑞穂の国」という心象風景と結びついているのである


この解説はなかなか秀逸であるが、一方別の考え方もでき、
私が説明し、付け加えたいのは、田舎の風景を例にすれば、田んぼや畑だけの農村地帯であっても
必ずと言っていいほど、鎮守の森や神社があったりする。
神社は天皇と文化的宗教的側面から繋がっているため、ある意味神社が天皇を象徴する
ものとなっているとも取れるのである。つまりこれが自然国家における権威的象徴の一つなのである。

神道の祓詞と天津祝詞に出てくる言葉に


恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す
畏かしこみ 畏かしこみも 白まをす



という祝詞や祓詞があるが、要約して説明すると
自然を恐れ、(こわがれ)神を畏れ(畏敬をもってうやまう)意味を込め畏れよという意味である。
ここに西洋とは違う日本人の超越性の限界点、臨界点が線引きされているのである

※この超越性における日本的線引きの基準が
 ニヒリズムに対しての日本人の防波堤の一つになっている、と考える

自然=天皇とが結びつき、
それが権威となって天皇という御存在は半神半人の大祭司として、国家の元首としての
日本人の精神の束ね的存在になっていると考えるのである。

その点、アメリカやロシア中国の場合、独立戦争や革命によってできた国家の為
国家の生い立ちがはっきりしている。
神話性や人々を結びつけるよりしろが無い為、このままでは国家が成り立たないのである。
つまり権威であり、国家の存在を民に信用させなければ国家は成り立たないのだから当然である

その為物語を作成、人工的に植えつけたという意味で、
イデオロギーや個人崇拝に頼った国家の物語を人工的に作り出しそれを国家の骨格として
国民を束ねているのである


・日本の伝統的共同体を破壊し続ける左翼と新自由主義者


本書で中野曰く、そもそも日本的なものを壊したいというのは左翼的な考え方であり
丸山眞男を筆頭に戦後左翼は一貫して日本の共同体を批判し壊してきた。

理屈としては、

日本が大東亜戦争というバカな戦争に突き進んだのは日本に
西洋の様な近代合理主義、個人主義が無いからであり
日本の伝統的なつまり前近代的な農村共同体や大家族主義があるせいで自立した個が育たず
合理主義的考えを阻害している。


だから古い日本をぶち壊し、進歩主義を掲げるのが戦後日本の左翼なのである。

だがこの左翼の分析は間違っており、
近代化したせいで日本の前近代的な共同体が壊れていたため
昭和恐慌の危機も重なり、日本は全体主義的、軍国主義的な方向に傾きざるを得なかった。
つまりは、食うに困り、生活基盤が破壊された共同体の人間がそういう過激な方向に流れたというのである。

そもそも全体主義自体、前近代的な現象ではなく、近代的な現象である。
しかし戦後、そこをうまくすり替えてアメリカマッカーサーたちの占領軍のロジックに乗ったのであり
戦後左翼は反米的な立場をとりつつ、アメリカと同じロジックの上にいるのである。


そして新自由主義に乗っ取られ、壊れた戦後保守も同様である。
左翼批判をするくせに、その内情は
自立した個を作れ、束縛からの解放を掲げている。

日本の農業(日本の伝統的な農村共同体)は古い、日本的なしがらみや習慣の打破、
などと言っているのだから、戦後左翼と変わらないのである。

結局のところ、戦後丸山の言ったロジックの上で踊っているだけなのが
戦後の新自由主義と結託し堕落した現在の保守の姿のである。
現在の日本の保守(戦後アメリカ迎合に重きを置いた親米保守)は戦後左翼と変わらない。

戦後左翼Bであり、両者とも新自由主義的で、グローバリズムに親和性が高いのである。


※その2に続く


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